バッチ博士が生きた時代
こんにちは、はなねこです。
これまでにない大変な毎日ですが、無事にお過ごしでしょうか。
私は新型コロナウィルスが流行してからも、毎日都内へ通勤していましたが、昨日から自宅待機となりました。気を張って通勤・仕事していたときに比べると、感染リスクが減りほっとしています。
今もなお、感染のリスクを背負いながらお仕事されている方たちがいらっしゃいますので、1日も早く収束することを願います。
今は、感染することや経済面の不安、身近な人への心配などが世界的に浮上していますが、フラワーエッセンスを生み出したバッチ博士の生きた時代も、大変な時代でした。
今日は、バッチ博士がどんな時代を生きたのかについて書いてみます。バッチ博士が大人になってからの話です。
第一次世界大戦
バッチ博士が30歳のときに第一次世界対戦が始まります。当時のバッチ博士は、ロンドンで細菌学者としてワクチンの研究を行っていました。身体の弱いバッチ博士は戦争には行けず、病院で負傷兵の治療に当たります。
休むことなく働き続けたバッチ博士は、ついに身体を壊し昏睡状態になってしまいました。すぐに手術が行われましたが、胃腸がんの末期で余命3ヶ月と告げられたのでした。
余命宣告が転機に
この余命宣告がバッチ博士にとっての転機となり、「残された日を最大限に使おうと」バッチ博士はますます研究に没頭していきます。そして3ヶ月経った頃、バッチ博士の身体はこれまでで1番健康だと感じるほど回復しました。
この経験からバッチ博士は、興味のあることに没頭することや、明確な目的をもって生きることが健康を回復させ、幸せをもたらすのだと確信します。
医学を捨て、フラワーエッセンスの研究へ
その後バッチ博士は、医師という地位や富を捨てて、フラワーエッセンスの研究に専念していきます。そして42歳のときに最初のフラワーエッセンスとなる3つの植物(インパチェンス・ミムラス・クレマチス)を見つけます。
世界恐慌
その1年後には、アメリカの不景気が世界中に広がり、世界恐慌が始まります。
本の中では世界恐慌については書かれていませんが、イギリスでも今の私たちと同じような状況が起こっていたのではないでしょうか。
おわりに
フラワーエッセンスの話にはあまり触れずに、バッチ博士が生きた時代について書いてみました。
バッチ博士の38種類のエッセンスの中には、不安や恐れのエッセンスが3つあります。(アスペン・ミムラス・ロックローズ)
バッチ博士は、自分で感じている感情や周りの人の感情を癒す植物を探していました。
つまり、当時の人たちが今の私たちと同じ感情を持って生きていたということです。だからこそ、今もバッチ博士のフラワーエッセンスが役に立っているのでしょうね。
参考文献
ノラ・ウィークス. エドワード・バッチ 心を癒やす花の療法 フラワーセラピーの世界. 林陽訳. 中央アート出版社, 1994, 248p